呪い~病2

【呪い】

「病気」とは何か?

この問いに答えるのは非常に難しく、

・そもそも認識に”個人差”がある

・文化や社会による決められる

ということをお話しました。

今回は、もっと広い観点から「病気」について解説していきます。

西洋医学が発達している先進国ではなく、
いわゆる発展途上国、未開社会や伝統的社会では、

病気が単に個人の心身上の不調や不快という範囲を超えて、

「その人を取り巻くさまざまな環境との関係がうまくいっていない状態」

と解釈されることが多いです。

つまり、
当人と家族・親族や隣人、神や祖霊との関係、
さらには当人と風、水、大地、天体などの
当人を取り巻く”すべて”の関係が正常に保たれていないため、
その不調和が病気になって現れている

という観念が広く存在しているのです。

また、宗教的には、病気は穢(けが)れた状態であると考えられることが多く、
その穢(けがれ)を祓(はら)うための儀礼が
“治療行為”
となることもあります。

そして、このような観念を持つ社会で行われる治療行為は
“呪術的”
です。

しかし、それは医学の知識に欠けている、というよりも
むしろ、独特の世界観によるものである
とみなせます。

そして、その治療行為を行う呪医(じゅい)たちは
一般に信じられているより、はるかに客観的で豊富な治療手段を持っていることが
最近、明らかになってきました。

科学的なアプローチが取られていなかったのではなく、
むしろ現代の西洋医学よりも、
「豊富で包括的」な治療手段を持っている

というわけです。

“呪術的”治療行為に惑わされて、
これまでは彼らの行う投薬やマッサージなどの医療的行為が見逃されてきたわけです。

では、少し話を変えて、
今度は「遺伝的」な「病気」について考えてみます。

たとえば最近話題になっている
「自閉症」
「ADHD」
と呼ばれるものは

本当に「病気」なのでしょうか?

治療が可能なものなのでしょうか?

「多動症」と言われるものは
以前は「病気」とされていました。

しかし、最近は、
「子供本来の性質であり、才能のある子供に多く見られる」
と言われるようになってきました。
(それでも、今でも矯正する教師、学校も多いようですが。。。)

LGBTなどの性的少数者(セクシャルマイノリティ)も、いまだに
「病気」
とみなしている国や地域があります。

これらは、本人たちが治そうと思わなければ、「病気」とは言えず
「個性」とも言い換えられます。

これらを「病気」と決めるのも
やはり、周囲の環境であり文化であるということが言えないでしょうか?

では、「病気」をもっと単純にして、
「死につながる原因」と捉えることもできます。

末期ガンなどは典型例ですよね?

しかし、この定義でさえも、なかなか難しいかもしれません。

例えば、「スポーツが好きなこと」は、
運動が細胞分裂を活発にさせるので老化を早める
という視点から見れば、「病気」になるかもしれません。

「甘いものが好きなこと」
も糖による身体の老化の促進する
という視点から見れば、「病気」になるかもしれません。

「近視」
も、時代と環境によっては
死に直結するような「病気」とされるかもしれません。

そうなると
すべての人間はなにかしらの病を常に持っている
と言えてしまいます。

このように、「病気」の定義は非常に曖昧です。

そして自分ではなく、文化や社会といった「他人」に決められてしまうことが多いです。

“勝手に”「病気」だとされて
必要もないのに治療を受けさせられ、
無駄な時間と費用をかけられてしまう場合が多々あります。

しかし、今回考察したように「病気」の認識をしっかりと持つことで、
無駄な治療を受ける必要はなくなるのです。

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