「病気」カテゴリーアーカイブ

病院を利用する際に覚えておきたい大切なこと~病院2

【病院を利用する際に覚えておきたい大切なこと】

西洋医学である「対処療法」は、本来の意味では「治す」行為とは言えません。

なぜなら、それは病気になった「原因」に着目していないからです。

根本的に病気を治さない治療法である「対症療法」には、
その故にさまざまな問題があります。

〇通院期間が長引く

まず、病気の原因を取り除くわけではないので、
必然的に通院期間が長引くことになりがちです。

病院のビジネス的に考えれば、顧客(患者)を囲い込めるのですから
病院側にとっては有難い話ということになります。

事実、ある程度腕の良い医師がいる病院には
平日にも関わらず、予約でいっぱいになります。

しかし、患者側としては、
なるべく長い間病院に通いたいという人はいないと思います。

いくら医療費控除があったり、一部負担で済むとは言え、
お金はいくらかかかります。

〇症状の悪化

さらに問題なのは、
対症療法を行うことによって、
様々な苦痛や不快症状の本来の原因を診断する妨げになったり、
病気をさらに悪化させることがあるということです。

例えば、発熱や下痢などの症状があります。

あなたも経験あるかと思います。

しかし、人間の身体は意味もなく
発熱や下痢という症状を発症させるわけではありません。

身体の中に入ってきた細菌やウイルスや細菌を殺したり、排除するための
防御的な反応の「結果」が
発熱や下痢という症状なのです。

そのため、注射や薬などで強制的に熱を下げるという行為は、
身体が一生懸命に熱を上げることで
身体に害をなす細菌やウイルスを殺そうとしている
努力を無にする行為なのです。
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結果として、病気を治すために病院に行ったのに、
対症療法という治療を受けたために病気が悪化してしまう
ということが起こり得るのです。

『そんなことはない。
基本的に病院は病気を治してくれるはずだ。』

という方もいるかもしれません。

しかし、死につながるような重大な事態におちいるようなケース以外では、
裁判沙汰になったり、報道されたりすることはないので、
認識していないだけなのです。

この医療行為が原因で生ずるさまざまな疾患や病状の悪化のことを
「医原病」と呼びます。

ほとんどの患者や患者家族と呼ばれる人々はそれに気付いてさえおらず、
気付く気さえないのが現実なのです。

〇負のスパイラル

処方する「薬」により負のスパイラルが起こる場合もあります。

これは腕の歩い医師や難病にかかった場合に良く起こることなのですが、

患者に対し適切な「薬」を処方しないと、
その副作用を抑えるために新たな「薬」を処方し、
またその新たな薬にも副作用が出るので、
更に新たな「薬」を処方する、

というスパイラルが起き、
結果、膨大な量の薬を飲む羽目になる、ということが起き得ます。

また、特定の薬の中には、中毒性の高いものもあるので、
その「薬」でないとだめだ、と依存症になってしまう場合もあります。

病気になったとき、「対処療法」として苦痛や不快を取り除く
ということには、もちろん重要です。

しかし、これは一時しのぎにしか過ぎません。

もっと大事なのは、
病気の「原因」が明らかにして、
その治療によって病気の原因を取り除き、
患者が完全に病院に行く必要がなくなる状態にすることができるようになる

ということです。

病院に行かなくても、薬なんて飲まなくても
色々な知識や情報を身につけるということが
本当の意味で「治す」ためには必要なのです。

病院では治療行為をしていない!?~病院1

【病院では治療行為をしていない!?現実】

以前、「病気」についてお話しました。

「病気」とは、医学的には一応定義はあるものの、
そもそも認識に”個人差”があります。

また、文化や社会などによって、
「病気」とみなされなかったり、みなされたりします。

そのため、「治す」必要のない「病気」までも「病気」とみなされる
という現象も発生しています。

では、仮に「病気」を「本人の身体的・精神的苦痛を持っている状態」だとして
「病気」を「治す」とは一体どういうことでしょうか?

一般的に多くの人が病院で受けている、あるいは受けたと”思っている”
病気を「治す」という行為は

今自分が感じている身体的・精神的苦痛

例えば、熱が高い、頭が痛い、腹が痛い、めまいがする等

を除去し、苦痛を感じることなく生活を送れるようになる状態
にすることです。

例えば、あなたが急に発熱して、病院に行ったとします。

医師はあなたを診察し、解熱剤の処方箋を与え、
あなたは薬局で薬を受け取り、服用します。

そして解熱剤が効いて熱が下がりました。

めでたしめでたし。

これが病院でやっていることです。

しかし、これでは、本当の「治す」とは言えません。

なぜなら、「病気」の「原因」まで踏み込んでいないからです。

「治す」という行為は

・病気の「原因」を明らかにする
・その治療によって病気の「原因」を取り除く
・患者が完全に病院に行く必要がなくなる状態にする

ということです。

そうではないと厳密には「治す」という言葉は使えません。

一般的に多く病院で受けている「治す」というのは、
あなたの病気を治したのではなく、
「熱を下げることにのみ成功した」だけ

だということです。

もちろん、熱を下げることに成功すること自体は無意味ではありません。

しかし、これは病気を治すことに成功したのではなく、
発熱という苦痛を除去しただけに過ぎません。

このように病気を根本的に治すのではなく、
さまざまな症状だけを改善することを主題とした治療のことを
「対症療法」と言います。

言葉は悪いですが、
このその場しのぎ的ともいえる対症療法が、
多くの病院で行われている治療行為なのです。

あなたも心当たりはありませんか?

現代西洋医学における治療行為の根幹は「対症療法」だと断言できます。

そもそも西洋医学は「解剖の医学」です。

戦争や感染症の流行が起こる度に西洋医学は進歩していきました。

解剖による研究で、外傷や感染症を治すことを目的としたため、
外からの原因(怪我・感染症)の対処(手術・抗生物質の投与)には強いのですが、
人間の内側から起こってくるものには弱いです。

一方、対称の医学とされている東洋医学では、
科学が発展しておらず、細部を観察する道具が無いので、
解剖をしても良く分からなかったため
人間を観察することに徹してきました。

特にツボや鍼は観察の結果の賜物であり、
漢方薬は様々な症状に試され淘汰された結果、
決まっていきました。

気が遠くなるような年月をかけ、発達してきたのです。

東洋医学は、人間の内部環境を整えるのに強くなったのです。

さて、では「原因」まで踏み込んでいない
いわゆる一般の「治す」という行為、
どんな問題があるのでしょうか?

それについては次回、解説します。

呪い~病2

【呪い】

「病気」とは何か?

この問いに答えるのは非常に難しく、

・そもそも認識に”個人差”がある

・文化や社会による決められる

ということをお話しました。

今回は、もっと広い観点から「病気」について解説していきます。

西洋医学が発達している先進国ではなく、
いわゆる発展途上国、未開社会や伝統的社会では、

病気が単に個人の心身上の不調や不快という範囲を超えて、

「その人を取り巻くさまざまな環境との関係がうまくいっていない状態」

と解釈されることが多いです。

つまり、
当人と家族・親族や隣人、神や祖霊との関係、
さらには当人と風、水、大地、天体などの
当人を取り巻く”すべて”の関係が正常に保たれていないため、
その不調和が病気になって現れている

という観念が広く存在しているのです。

また、宗教的には、病気は穢(けが)れた状態であると考えられることが多く、
その穢(けがれ)を祓(はら)うための儀礼が
“治療行為”
となることもあります。

そして、このような観念を持つ社会で行われる治療行為は
“呪術的”
です。

しかし、それは医学の知識に欠けている、というよりも
むしろ、独特の世界観によるものである
とみなせます。

そして、その治療行為を行う呪医(じゅい)たちは
一般に信じられているより、はるかに客観的で豊富な治療手段を持っていることが
最近、明らかになってきました。

科学的なアプローチが取られていなかったのではなく、
むしろ現代の西洋医学よりも、
「豊富で包括的」な治療手段を持っている

というわけです。

“呪術的”治療行為に惑わされて、
これまでは彼らの行う投薬やマッサージなどの医療的行為が見逃されてきたわけです。

では、少し話を変えて、
今度は「遺伝的」な「病気」について考えてみます。

たとえば最近話題になっている
「自閉症」
「ADHD」
と呼ばれるものは

本当に「病気」なのでしょうか?

治療が可能なものなのでしょうか?

「多動症」と言われるものは
以前は「病気」とされていました。

しかし、最近は、
「子供本来の性質であり、才能のある子供に多く見られる」
と言われるようになってきました。
(それでも、今でも矯正する教師、学校も多いようですが。。。)

LGBTなどの性的少数者(セクシャルマイノリティ)も、いまだに
「病気」
とみなしている国や地域があります。

これらは、本人たちが治そうと思わなければ、「病気」とは言えず
「個性」とも言い換えられます。

これらを「病気」と決めるのも
やはり、周囲の環境であり文化であるということが言えないでしょうか?

では、「病気」をもっと単純にして、
「死につながる原因」と捉えることもできます。

末期ガンなどは典型例ですよね?

しかし、この定義でさえも、なかなか難しいかもしれません。

例えば、「スポーツが好きなこと」は、
運動が細胞分裂を活発にさせるので老化を早める
という視点から見れば、「病気」になるかもしれません。

「甘いものが好きなこと」
も糖による身体の老化の促進する
という視点から見れば、「病気」になるかもしれません。

「近視」
も、時代と環境によっては
死に直結するような「病気」とされるかもしれません。

そうなると
すべての人間はなにかしらの病を常に持っている
と言えてしまいます。

このように、「病気」の定義は非常に曖昧です。

そして自分ではなく、文化や社会といった「他人」に決められてしまうことが多いです。

“勝手に”「病気」だとされて
必要もないのに治療を受けさせられ、
無駄な時間と費用をかけられてしまう場合が多々あります。

しかし、今回考察したように「病気」の認識をしっかりと持つことで、
無駄な治療を受ける必要はなくなるのです。

病気って何?~病1

【病気って何?】

今回は、「健康」の反対、
「病気」について考察していきます。

一般に「健康」とは、
「病気・怪我をしていない状態」
ということが認識としてあると思いますが、

では、そもそも「病気」って何でしょうか?

ここを押さえておくかどうかは、とても重要です。

この世には、
“勝手に”「病気」だとされて
必要もないのに治療を受けさせられ、
無駄な時間と費用をかけられてしまう場合が多々あります。

「病気」の認識をしっかりと持つことで、
無駄なことをする必要がなくなるようになります。

では、まず
一般的な病気の「定義」は存在するのか?
ということから考えてみましょう。

現代日本をはじめとした先進国では、病気を分類する場合、
“西洋医学的な”考えに基づくことが多いです。

日本で病院に行けば、
普通に”西洋医学的な”分類で病名を当てはめられます。

あなたにもそのような経験はあると思います。

そして、西洋医学では病気を

「体の機能、構造、器官などの断絶、停止、障害」
(ブリタニカ国際大百科事典 より)

とみなしています。

すなわち、病気は、
「身体に何らかの異常がある状態」
です。

しかし、では、逆に
「身体が”正常”」
とはどういうことでしょうか?

どんな分野でもそうかもしれませんが、
「正常」という概念そのものは非常に不確かです。

観念的には、おそらく大多数の人が理解できるとは思いますが、
やはり個人差は大きく出てしまうと思います。

例えば、
あなたが仮に普段から頭痛に悩んでいなかったとして、
ある日、急に頭痛が起こり始めた時、

あなたにとっては、「異常」状態ですが、
普段から慢性的に頭痛持ちの人にとっては「正常」状態、と言えますよね?

このように「病気」には、個人差というものがある、
ということはまず押さえてみてください。

さて、もう少し、別のアプローチをしてみます。

病気の本性について、アメリカの医学者エンゲルハートらは

「病気という概念は病人が属す文化や社会のもっている価値や信条によって構成される」
(日本大百科全書 より)

という考え方を提唱しました。

つまり、病気とは
「文化や社会による決めごと」
とであるのです。

病気であるかないか?の区別は、
社会や時代によって異なる、というわけです。

例えば、
マラリアはかなり重大な病気、というのが一般的ですが、

リベリア(西アフリカ)やミシシッピ川上流渓谷地域では、
マラリアを病気とはみなされませんでした。

その理由は「誰もがかかっているから」だそうです。

日本でも、
最近まで「百日咳(ひゃくにちぜき)」や「おたふく風邪」などは、
幼児の発育上避けられない「通過儀礼」の一つと考えられており、
いわゆる「病気」とはみなされませんでした。

逆に、癌(ガン)・高血圧のように
保健医療制度など、社会的・経済的条件によって
病気とされるものもあります。

このように、病気は、個人的な苦痛や不快とは関わりなく、
病気がその時の社会の状況により、
「誰もがかかるものだから」
という理由から、病気とみなされていなかったこともあるようです。

以上のように一口に「病気」と言っても
様々な解釈があることがわかります。

では、次回は、もっと広い観点から「病気」について解説していきます。